2004年2月21日土曜日

〔再録〕なぜ荷風は美食への拘り持たなかったのか?


「荷風のこだわり」(東理夫)



今晩の日経夕刊に東理夫が書い ている:
酒や食べ物や服装などに意見を持っていた荷風も、最晩年は丸めがねにヨレヨレの洋服、それに下駄ばき で、しかもほとんど毎日、並のカツ丼と上新香とお酒一合をくり返し食べている。まるで、別人のようだ、と書いたところで、実は荷風のこだわりは方向性が変 わっただけで、少しも弱まっていないことに気づかされた。
そうかな。散人はそう思わない。


「グラスの縁から」と題する東 理夫の連続コラムである。この方の美食とお酒へのこだわりは相当のもので、いつも感心して読ませていただいているが、今晩の荷風についてのくだりはいただ けない。荷風は美食へのこだわりは持っていなかったと思うからである。

たしかに荷風は美食についての蘊蓄を傾けたことはあ る。しかしそれは「物まね文化でしかない明治大正の日本の美食文化への痛烈な風刺」という側面が強いのである。明治の皮相的な近代化文化は、もったいぶっ てカッコウ付けだけをしているが、お前らのやっていることはしょせん底が浅い物まねでしかないよと言いたかったのだ。実際の荷風は実食への関心は全くな かった(と言っていいと思う)。だから京成八幡駅前の大黒家の「甘くてべちゃべちゃする」カツ丼もものとはしなかった。栄養さえあればどうでもよかったの である。

これは荷風がサムライ家庭において教育を受けたこと と、自分で経験した最初の外国生活がアメリカ、それも西海岸であったことと関係があるように思える。美食にこだわった谷崎潤一郎と根本的に異なる点かも知 れない。

これは悲しいことであろうか。散人も実は長くそう思っ てきた。でも昨今の日本のグルメ文化の蔓延を見るにつけだんだん荷風の方が正しいと思うようになった。物知り顔で美食を語る文化人の文章を見るにつけ、荷 風のように「知ったかぶりしてカッコウつけるんじゃないよ」と毒づきたくなることもある。荷風の時代から半世紀が経過しているが、日本の「背伸び(こだわ り)文化」は大して変化していないと感じる。

食い物のスタイルにこだわるのは、カッコウが悪い。荷 風はカッコウの悪さを第一に嫌ったのである。

Posted: Sat - February 21, 2004 at 10:22 PM   Letter from Yochomachi   永井荷風       Comments (5)  

2004年1月31日土曜日

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2004年1月23日金曜日

なぞなぞ「世界で一番最初にお鍋料理を食べたのはだれ?」



お鍋料理にはスープも入る。世界の三大スープとはボルシチ、トムヤンクン、ブイヤベースかしら。いずれもおいしい。で、質問。誰が最初にこんなおいしい料理(スープとかお鍋とか)を発明したのでしょうか?

調べてみると、どんどん時代を遡っていく。結局火にかけることが出来る「鍋(容器)」を最初に制作した人がその中に食物と水を入れて「おなべ」を作ったと考えるのが合理的だとわかった。地球上で一番古い土器は青森県の縄文遺跡から発見されている。鹿の肉や魚介類、野菜などを入れて寄せ鍋を作っていた。縄文人は日本人のご先祖さま。よって、正解は日本人。ご先祖さまはえらかったのだ。


2004年1月11日日曜日

梅の剪定(NHK「趣味の園芸」2004.1.11)


今朝の「趣味の園芸」でウメの剪定方法の指導があった。目からうろこ。役に立った。 ウメの剪定時期は年に3回。花が終わった直後、5〜6月頃、そしていま(12月〜1月頃)。今の時期はつぼみが確認しやすく剪定によい時期であると。放送 されたポイントを備忘録として書いておきます。



ウメの剪定のポイント:

1)まず枯れ枝を元から剪る。下に切れ目を入れてから剪ると枝が裂けない。

2)太いところから剪る。剪る回数が減る(言われてみればと言うところですが、目からうろこ)

3)剪る枝は:

3−1)他の枝と交差している枝
3−2)ふところ枝(中心に向かって伸びている枝)
3−3)徒長枝
3−4)平行枝

4)最後にバランスを見て整えるが、二人でやれば剪る枝が分かりやすい(梯子の上に上ると全体が見えない。下から見て指示する人が必要)

5)剪る場所は外芽の上(内芽の上で剪るとふところ枝となる)

散人とこの梅はひどい状態。細い枝がヒョロヒョロ伸びて、みっともない。剪らなかったからだ。野猫さんにも以前ご指摘頂いたが、今年は仕事しなければならないな〜。

テレビを見て分かったつもりになったのですが、さていま梅を見てみると、どこで剪ったらいいのか分からなくなった! 耳学問の限界ですな。

2003年12月29日月曜日

冬のお便り


冬のお便り
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余丁町散人

今年は世界でいろんなことがあった一年でした。実にアホなイラク戦争は言わずもがなだけれど、ドルがこれだけ安くなったのは予想外だった。ブッシュはヨーロッパに意地悪するだろうからユーロは高くなるだろうとは予想していたのだけれど、さらに円高とは参った。そこまでなりふり構わないとは思わなかったのだ。小泉さんもこれではなんのためにあれだけおべっか使ったのかと言うこと。

まあドルベースで考えたら幾分お金持ちになったわけだから、文句は言うまい。日本株も少しは上がったし、悪いことばかりではない。

新年はどういう財務戦略で行くか、思案のしどころだな。

散人のもう一匹の猫

blog (weblog) に凝る

6月から blog を始めました。これ結構面白い。言いたいことを散々書き散らしています。「云ひたきことを云はぬは腹ふくるるわざなれば」、書いて発信する方がストレスは溜まりません。最近目立つのが「悪口」。我ながら意地悪爺さんだと思う。でも面白いよ。

ホームページにいくら書いてもほとんど読んでくれる人は居なかったんだけれど、blog にしてから読んでくれる人が増えました。一日平均で1000件以上のアクセス(ページビュー)です。うれしいな。読んでくれる人が居られれば、悪口の書きがいがあるというもの。散人に憎まれている方々、ご用心ご用心。

それから去年の11月から始めたルモンド紙の翻訳(抄訳)ですが、三日坊主の散人としてはめずらしく、一年以上続いています。フランス語の勉強のために始めたものですが、おかげで相当読む方は楽になってきました。今般、このルモンド翻訳のサイトが Yahoo に登録されました。カテゴリーはなんと「国際ニュース」。ロイター等と並んで小生の Le Monde Clippings というサイトが掲載されています。遊びでやっている旦那芸にしては立派なものでしょう? 自慢させてください。

家族と猫
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大学でてからしばらく行く道を模索していた長男の暁ですが、いよいよ今年からグラフィックデザイナーのプロとして月給をもらう身になりました。親としてうれしい限りです。勤務時間がとても不規則で、時々徹夜作業なんかやっているのがちょっと気がかりですが、若いから大丈夫なのでしょう。

パリでひとり暮らしをしていたアニーのお母さんも夏から老人ホームにはいることになりました。とてもいいところで友人夫妻と一緒のホームであり、本人は喜んでいるようです。でもそんなこともあり、家内は向こうで過ごすことが多くなりました。まあ一人娘だもんね。

猫(ピカチュウ)は相変わらずです。昼寝をしているか庭で遊んでいるかどちらか。ああいう身分は羨ましい。猫が主人に似たのかも知れない。

庭のカキは鳥たちに全部食べ尽くされ、いまはヒメリンゴのみが残るだけ。ヒヨドリがつついています。そのヒヨドリに冬の静かな日がさしています。

2003年12月19日金曜日

Le Monde 「クール・ジャパン」ポップの超大国日本


昨日に引き続き今日もポンス記 者の報告。「日本はポップのスーパーパワー」と最近の日本の若者文化を高く評価しています。10年続く不況が高度成長時代の一生懸命主義の抑圧をぶちこわ したおかげで新しい文化が花開いた。これはアメリカの一極文化支配に対抗しうるすごいものだというのですが……そうかね? 散人は女子供文化だと思うな。 まあほめられれば悪い気はしないけど。


ANALYSE
"Cool Japan": le Japon superpuissance de la pop
LE MONDE | 18.12.03 | 13h44 

分 析「クール・ジャパン」日本はポップのスーパーパワー (2003.12.18)

Au Japon, une pop culture pétillante d'inventivité reflète une société en ébullition où se forgent de nouvelles façons d'être, de penser et d'agir.

日本ではきらめくような創造性に富 むポップカルチャーが花開いているが、これは新しいライフスタイル、考え方、行動がるつぼのように融合する沸騰するような社会を反映したものだ。

Et si les indices économiques laissaient passer dans les filets statistiques un élément, plus sensible que quantifiable, qui constitue pourtant un moteur du dynamisme social ? Une culture de masse, des comportements, un air du temps. Ces notions sont vagues, triviales au regard des analyses en termes de taux et de rentabilité.

経済指標だけでは社会のダイナミズムは計測できない。 大衆文化や人々の行動や時代の雰囲気というものは、収益とか成長率とかの指標では分析できないものだ。

Le cas japonais est cependant révélateur, par ses paradoxes, de cette lacune de l'outil économique à appréhender une "écume des jours" perpétuellement régénérée. A lire les pages économiques et politiques des journaux, on est vite lassés : la vie politique est enlisée, l'économie rebondit ici, mais stagne ailleurs, les disparités sociales s'accroissent et l'opinion est inquiète. Les pages culture, styles de vie ou technologies donnent une autre vision : elles pétillent d'inventivité, fourmillent de nouveaux produits, épinglent des comportements inédits.

少なくとも日本に於いては経済指標だけでは、今非常な 勢いでもって生まれだしている草の根のエネルギーを把握できない。新聞の経済面や政治面を読むと、政治は停滞し景気は少しよくなっているところもあるがま だまだ悪く、社会の不均衡は増大しており世論は不安に満ちている。しかし文化面を見ると、日本のライフスタイルや技術進歩は別の見方を与えてくれる。創造 性に富んだ新製品がどんどん開発され、前代未聞の状況だと言うことがわかる。

Un contraste ressenti par le nouvel arrivant au Japon. La crise ? On la cherche dans le bouillonnement des rues des grandes villes, des magasins débordant de biens de consommation. Se fait jour assurément un pays à deux vitesses : un Japon prospère, et un autre qui souffre, s'appauvrit. Pourtant, un peu partout, on est emportés par le maelström d'une culture populaire effervescente, par le foisonnement des images intégrées au quotidien sous forme de produits dérivés. Tokyo ou Osaka sont des mines de surprises, d'inattendus : de grands bazars du bizarre. Film d'animation, style vestimentaire, graphisme, musique, design : ce kaléidoscope d'expressions reflète une société en ébullition où se forgent des façons d'être, de penser, de parler et d'agir qui remodèlent les rapports sociaux.

このコントラストは新しく日本に到着した外国人を驚か せる。経済危機だって? 大都会の街を歩けば店は消費物資であふれている。今日の日本は、たしかに二つの速度を持った社会なのだ。発展し豊かになりつつあ る日本と停滞し貧乏になっていく日本だ。特にあらゆる分野に於いて大衆文化の新しい波が怒濤のようにありとあらゆる細々した日常製品に組み込まれているの だ。東京や大阪ではこれは驚くばかりで、思いもしないようなへんな商品があふれている。アニメ映画、衣裳、グラフィック、音楽、デザインなどは、万華鏡の ように、新しいライフスタイるン替え方、行動様式が社会的広がりで融合し合う、新しく沸き立つような社会を反映するものだ。

En récession depuis douze ans, le Japon n'en est pas moins le grand foyer de la pop culture contemporaine : une Image Factory, titre d'un brillant essai de Donald Richie (Reaktion Book, Londres).

この12年の不況で日本は巨大な現代的大衆文化のたま り場となった。こうドナルド・リッキーはその著書「イメージ・ファクトリー」で述べる。

"Plus que les idées, l'image caractérise la culture moderne et, au Japon, plus que partout ailleurs", écrit-il. La pop nippone est d'une extraordinaire accessibilité : qu'on le veuille ou non, on est immergé dans la profusion protéiforme de ses expressions. L'Archipel est en train de détrôner Hollywood en termes de production d'images et Londres pour la mode.

「概念というよりイメージが日本の現代文化を特徴付け る」と同氏は言う。ニッポン大衆文化は誰もが否応なく接するようなもので、アクセスのしやすさは驚異的。あらゆるところに過剰なほどに存在する。日本列島 は今やイメージの大量生産という点においてはハリウッドやロンドンを抜いた。

"La pop américaine perd son hégémonie sur l'imaginaire mondial, estime le sociologue Koichi Iwabuchi, la mondialisation conduit à une diversification-décentrement des foyers de création de la pop." En Asie, ce décentrement se traduit par une japonisation accélérée des cultures de masse de la région, tandis qu'en Occident la pop nippone se taille une place de choix avec ses icônes (Pokémon ou Hello Kitty), le design néo-zen ou la vogue des sushis.

「アメリカ製ポップは映像の世界に於いてその覇権を 失った」と社会学者イワブチ・コーイチ氏は「ポップの製作に於いてはグローバリゼーションは多元化と多角化を生み出している」と言う。西欧諸国に於いては ニッポン大衆文化は禅とか鮨の言うイメージにとどまっているが、アジアに於いてはこの非グローバル化はとりもなおさずアジアに於ける大衆文化の日本かを意 味しているのだ。

Ce boom mondial, qui se traduit en profits, contribue à modifier l'image de l'archipel. Contrairement aux clichés passés (les "samouraïs de l'entreprise" et les débordements de sexe et de violence des BD), le message de la pop nippone est "cool", note Douglas McGray dans un article de Foreign Affairs : le jeune journaliste épingle le phénomène de sa diffusion comme une production de "gross national cool" (en jouant sur l'expression gross national product, ce produit national à l'aune duquel les économistes mesurent l'expansion). La pop culture japonaise - entendue dans le sens d'un ensemble de comportements, une sorte de style national - est "cool" : elle reflète un détachement ironique, un anticonformisme bon enfant qui se traduit par une esquive de l'autorité plus qu'une rébellion et se conjugue à une appétence pour l'insolite et le futile teintée de gentillesse naïve.

このような世界的ブームは既に利益を生み出しているこ とで日本のイメージチェインジに貢献している。従来の日本の紋切り型固定観念は「企業戦士」とかセックスと暴力に満ちあふれた漫画とかそういうものだった が、いまやニッポン・ポップは「クール」で格好いいのであるとダグラス・マックグレイが「フォーリン・アフェアーズ」に書いた。かれはこの現象を表す指標 として「グロス・ナショナル・クール」というGDPにあやかった言葉を工夫した。日本のポップ文化は「クール」であるという。皮肉な性格を持ち反体制的で もあるのだ。

UN ESPRIT DE PLAISIR

遊びの心

Le Japon a poussé le phénomène à l'extrême avec la déferlante du kawaï (le "mignon"), qui est devenu une dimension de l'imaginaire juvénile dans toute l'Asie et génère une prolifique industrie. On qualifiera le kawaï de puéril, de refus du monde adulte : c'est en réalité une expression de disponibilité affective à la fantaisie d'autant moins à rejeter, avec condescendance, dans l'infantilisme que sa vogue est portée par les jeunes Japonaises qui sont à l'avant-garde des mutations sociales.

日本では「かわいい」という言葉がむちゃくちゃ流行っ ている。アジアの若者のあいだでも大流行だ。この「かわいい」という言葉は大人にとっては子供じみた表現だが、大人社会への拒否という意味も含まれてお り、現実には突然変異的に現れた日本の若い世代が体制に反抗するために幼児性の中に閉じこもると云う性格もある。

Le Japon vieillit et pourtant il est le creuset d'une culture jeune qui marie habilement inventivité, underground, commercialisation et nouveaux médias. Plusieurs facteurs concourent à ce boom. D'abord, la mutation de l'économie vers le tertiaire, c'est-à-dire les services et les loisirs, qui coïncide avec de nouvelles conceptions de la vie, du travail. Les "dix années perdues" ont levé le carcan du productivisme des années 1960-1980, rompu la gravité pesante de l'utilitarisme et du "sus à la flânerie" du taylorisme à la nippone et redonné à la société une diversité, une mobilité et une inventivité étouffées par la mobilisation des énergies vers la rentabilité.

日本では高齢化が進んでいるが、同時に商業的でアング ラ的な若者文化のるつぼでもある。これにはいろんな要素がある。まず第一に、産業構造の第三分類化(サービス化)でライフスタイルや労働価値観が変わった ことである。「失われた10年」は1960年から1980年にわたって支配的だった生産性の拘束を解き放した。効用主義やテイラー主義が日本社会を支配し ていたのであるがその重しが解き放された。

Moins riche, le Japon se doit d'être inventif. Et il l'est au quotidien : c'est par exemple dans la rue que stylistes et designers cherchent leur inspiration en observant la constante réinvention du look dont elle est le théâtre.

たしかに日本は金持ちではなくなった。金持ちでないの でより創造性が求められた。日常生活に於いてスタイリストやデザイナーがインスピレーションを探すようになった。

Second facteur : un héritage culturel. Les filiations sont toujours hasardeuses, mais on peut avancer trois éléments qui prédisposent à la réception de la pop culture contemporaine. D'abord, un état d'esprit. Depuis son contact avec l'Occident au XIXe siècle, le Japon a fait preuve d'un étonnant éclectisme dans l'adoption/adaptation des éléments de la culture étrangère : postmoderne, il l'a été avant la lettre par une hybridation dont les villes sont une expression par leur étonnant collage architectural et dont aujourd'hui la cuisine fusion est une autre. Les fabuleux automates de la fin du XVIIIe et du XIXe siècle pourraient bien être aussi les devanciers des Tamagochi, robots de compagnie et hominoïdes d'aujourd'hui. Car "il y a au Japon une désacralisation et une relation à la fois ludique et affective à l'objet technique. Un mode d'intégration du technique au quotidien par l'appropriation imaginaire", note la sociologue Christine Condominas dans un article à paraître sur les étonnantes décorations des téléphones mobiles. Dernier élément : un sens du ludique, un esprit de plaisir qui est une constante plusieurs fois séculaire de la mentalité du petit peuple. Une disposition à s'amuser, à se laisser emporter dans la fantaisie, qui avait régressé sous le tuf du productivisme et qui renaît peut-être sous la forme de la pop moderne en enrichissant de mignardises et de magique la plate notion de loisir.

二番目の点は、文化的な伝統である。関連はばらばらで はあるが現代のポップ文化を歴史的な三つの要素で説明することが出来る。まsずその精神。最初に西欧文化に触れた19世紀以来日本は素晴らしい折衷主義を とって外国文化を取り入れてきた。ポストモダンの時代においても、街の建築にはとんでもない東西文化の折衷が見られ、無国籍料理が流行っている。18世紀 と19世紀に現れたからくり人形は現代の「タマゴッチ」の原型でもある。日本には精神文化的タブーが無いので遊び心と技術を結びつけることが出来るのだ。 日常製品について技術製品にイマジネーションを結びつけるやり方は、社会学者のクリスティーン・コンドミナスが携帯電話器への装飾品文化について書いてい るとおりである。最後にこの数世紀にわたって存在した日本の遊び心が、生産性優先主義のために一時期押さえつけられていたのであるが、多分現在このポッ プ・カルチャーとして花開いたとも言える。

Le boom mondial de la pop nippone remédie aux distorsions de l'image du Japon productiviste et homogène - mythe tenace que des historiens contemporains se sont employés à déconstruire -, en y substituant celle d'un pays à la culture éclatée, diversifiée, protéiforme. Il se traduit par un rapprochement de l'Archipel et de sa région. La frénésie des jeunes Asiatiques pour la pop nippone est en rupture avec la perception des générations précédentes, marquée par les stigmates du colonialisme.

このニッポン・ポップの世界的流行は、日本の従来から の牢固たる伝統的イメージ、つまり生産性と同質性という固定観念を修正することになろう。これは現代の歴史家達が修正しようと努力していることでもある。 日本は現実には、文化は花開く、多元的で多様な、変幻自在な社会なのである。これは人を日本列島に引きつけることとなる。アジアの若者達がニッポン・ポッ プに熱狂することに植民地時代の傷跡をまだ持っているアジアの熟年世代は目をひそめるが、世代の断絶がある。

LE RESPECT DES DIFFÉRENCES

異質なものの受け入れ

Certes cosmopolite, la pop nippone véhicule "une identité à la fois asiatique et moderne", écrit Alessandro Gomarasca dans Poupée, robots, la culture pop japonaise (Autrement), et elle a bénéficié de la vague antiaméricaine du lendemain de la crise financière (1997-1998). Les jeunes Asiatiques se reconnaissent plus dans ce qu'ils trouvent "tendance" que dans ce qui vient des Etats-Unis. La pop nippone donne lieu, enfin, à des phénomènes d'appropriation et de fertilisation croisées (entre les pop japonaise et coréenne, par exemple).

たしかに無国籍性を持つこのニッポン・ポップは「アジ ア的であり同時に現代的である」とアレサンドロ・ゴマラスカは日本のポップ・カルチャーについても著書「人形」で書いた。これは1997−1998年の金 融危機の際にあらわれた反米主義によって増長された面もあるという。アジアの若者達はアメリカから来る文化よりも、日本のポップ・カルチャーの中により自 分を見いだしたのである。日本のポップ・カルチャーは遂に文化の錯綜するアジアに於いて肥沃の土地を見いだしたのである(たとえば日本と韓国のポップの交 流とか)。

Cet engouement pour la pop nippone en Asie pourrait remédier au "déficit de légitimité" de Tokyo dans la région, estime le spécialiste des relations internationales Masayuki Todokoro. "La pop culture peut véhiculer des valeurs comme celle de l'Amérique des années 1960, ajoute-t-il. Mais alors que la pop américaine insiste sur les droits de l'homme, la démocratie, la pop nippone privilégie les relations avec les autres et le respect des différences." Ephémère feu d'artifice ou facette du phénomène d'incubation d'un nouveau paradigme social nippon ? Le Japon se réinvente en "superpuissance de la pop", expression inédite de "soft power", avance Douglas McGray.

アジアに於けるニッポン・ポップへの熱狂は日本のアジ アに対する「正統性への負い目」を解消するかも知れないと国際関係の専門家トドロキ・マサユキ氏はいう。「ポップ・カルチャーは1960年代のアメリカの 大衆文化のように価値観の伝播手段となる」と彼は言う。ただ「アメリカ大衆文化は、人権とか民主主義とかに拘ったが、ニッポン・ポップは他者との共生や異 質性を尊重する」と。これは線香花火のような一時的な現象なのであろうか? それとも日本社会の新しいパラダイム・シフトの始まりなのであろうか? 日本 はいま「ポップのスーパーパワー」として、つまりダグラス・マックグレーが言う前代未聞の「ソフト・パワー」として、再発見されつつある。

Philippe Pons

• ARTICLE PARU DANS L'EDITION DU 19.12.03


2003年12月5日金曜日

Le monde / 庭木の剪定(ルモンド式)



庭木の剪定法についての記事。 要は「何もするな、自然にまかせろ」というもの。日本ではスペースの関係もあり不自然に樹を刈り込みすぎる傾向があります。街路樹なんかもう少しのびのび と伸ばしてもいいように思うんだけど、見るも無惨に毎年刈り込む。あれは業者の仕事を作るためなんでしょうね。住民税が高いわけだ。山林もそう。年中間伐 をしている。江戸時代ならいざ知らず、現在の人件費では林業が成り立たないのも宜なるかな。環境保全のため必要というが、専門家も認める日本で一番美しい 森とはいっさい手を入れていない明治神宮の極相林であることを思い起こすべきです。ちなみに散人はずぼらだからどうしても必要な場所以外は剪定しません。 この記事には「わが意を得たり」です。


Toujours tourner sept fois son sécateur dans la poche du tablier
LE MONDE | 03.12.03 | 14h03


刈り込む前にポケットのなかで剪定 ばさみを7回まわせ (2003.12.3)

Quand tailler et comment s'y prendre ? Cette question à tiroirs, tous les jardiniers se la posent un jour ou l'autre, particulièrement quand ils débutent. La réponse pourrait tenir en deux phrases... comme elle pourrait occuper les deux cents ou trois cents pages d'un manuel savant.

いつ、どういう風に剪定するのか? この問題にガーデ ニングの初心者はいつも頭を悩ます。分厚い参考書を読むのもけっこうだが、ごく簡単な方法もある。

Alors faisons simple !

じゃ簡単な方法で行こう!

Quand ? A toute période de l'année ! Comment ? Avec doigté ! Selon les plantes évidemment, selon les régions, le climat. Certains arbres et arbustes se passant parfaitement de la moindre intervention du sécateur quand d'autres ne pourraient se développer harmonieusement sans l'aide de la taille. D'une façon générale, les arbres de plein vent - le terme employé pour dénommer ceux qui poussent sur leur tronc - n'ont pas besoin de taille. Ce qui n'est pas dommage car grimper dans une double échelle pour tailler un pommier, un poirier, un grand prunier ou un cerisier ne serait pas aisé. Le vent se charge d'éliminer les petites branches mortes à la mauvaise saison ou pendant un fort orage d'été. Les arbres font leur toilette eux-mêmes. Si l'on regarde un pommier dans un pré normand, il n'est que de voir que les branches latérales penchent, en leur extrémité, vers le sol, chargées du poids des pommes. Ce faisant, à l'endroit où le bois s'infléchit une nouvelle petite branche naît. Elle prend la sève à l'ancienne qui pique du nez et finit par se dessécher. Le bois meurt, le vent le fait se casser. Et le cycle continue sans intervention humaine. En revanche, le gui devra être retiré des arbres qu'il envahit.

いつ剪定するか? 一年中いつでもいい! 何を使って 剪定するか? 指でだ! もちろん樹木の種類によって、まや地方や気候によってやり方が違う。ある種の樹木や灌木は全く剪定しなくとも大丈夫だが、ある種 の樹木は人の手で剪定しないと美しくは成長しない。一般法則で言えば、幹が太い高木は剪定する必要は全くない。林檎、梨、桜などの高木に梯子をかけて剪定 するのはたいへんだから、助かったと言うところ。風が枯れた小枝なぞを冬のあいだや嵐のおりに勝手に吹き落としてくれる。樹木は自分で身繕いをするのだ。 ノルマンディーで林檎の木を見るとわかるが、水平方向に伸びた枝は端の方で太陽に向かって幾分伸び上がり、林檎の実の加重を支えるようになっている。そう やってその部分から新しい枝が伸びやすい様にしているのだ。新しい小枝は古い枝から樹液を奪い、古い枝は枯れて落ちるという循環だ。このサイクルは人間が 介入しなくとも続く。でも宿り木は(人間が)除去してやらなくてはならない。

En fait les grands arbres qui poussent librement ne devraient jamais être taillés. Pour cela, il faudrait qu'ils aient été plantés là où il le faudrait, ce qui n'est pas toujours le cas. Et les arbres des villes le sont fréquemment pour ne pas sortir de l'espace qui leur est imparti. De là, ces affreux têtards de tilleuls, de marronniers dans les cours d'école et le long des boulevards. Quelle pitié de voir le tilleul, arbre si majestueux au naturel, grand, vigoureux, dont le bois, dense, fin, sans nœud et ne bougeant pas était fort prisé des luthiers, ramené à un tronc surmonté de bras difformes, chandelier végétal monstrueux. Quelle pitié aussi de voir ces grands platanes massacrés à la tronçonneuse dont les branches, grosses comme le bras, ne pouvant pas cicatriser, pourrissent et le font crever à petit feu. Aucun de ces deux arbres ne devrait être planté à moins de vingt-cinq ou trente mètres d'une maison, dans un jardin faisant moins de 1 500 mètres carrés. On en est loin, quand on dénombre un saule pleureur, un cèdre de l'Himalaya (adulte, il tient dans un cube de quarante mètres en tous sens) et d'autres arbres encore dans un jardin moitié moins grand !

事実、自然のなかで育っている高木は決して剪定しては いけないのである。だからそれらの樹はそのような適した状況のなかで育てられねばならない。街の中の庭に植えられた樹は境界をはみ出さないようにしなけれ ばならない。だから学校の中庭や街路に沿って植えられた樹には、悲惨な状況が起こる。自然のなかではのびのびと育つ樹が街中で無様に上を切りつめられた様 を見ることはいかに悲惨なことか。これらの高木は25−30メートル間隔で植えられて、庭の広さは少なくとも1500平米はあるべきなのである。ところが そうも行かないので、小さな庭に自然のなかでは40メートルに達するヒマラヤスギが植えられたりする。

Pour le reste, s'il est quasi inutile de tailler rhododendrons, azalées et camélias, les rosiers ne peuvent se développer sans une taille annuelle qui se pratiquera en hiver, avant la fin janvier, sur toutes les variétés modernes, dites remontantes, fleurissant plus ou moins continuellement à la bonne saison. Après la floraison s'ils ne fleurissent qu'une fois. Plus un rosier est vigoureux, plus il sera taillé long. Plus il est faiblard, plus il sera taillé court. Ce qui est facile à comprendre : le pied vigoureux n'aura aucune difficulté à nourrir les nombreuses branches tandis que celui qui est faible peinera à le faire.

他の植物、たとえばシヤクナゲやツツジ、またツバキを 剪定することは全くの無駄であるが、バラについては冬期の剪定は欠かせない。バラは元気であればあるほど長く、元気がなければ短く剪定する。元気はバラは たくさんの葉っぱに栄養を供給できるが元気のないバラはそれが出来ないからである。

Les arbustes qui fleurissent au printemps ne seront taillés qu'après leur floraison : si on le fait maintenant, le sécateur fera tomber des branches porteuses de boutons. Ceux qui fleurissent l'été pourront en revanche l'être pendant l'hiver. Ceux qui sont un peu sensibles au gel pourront attendre (arbres à papillons, lavatères arbustifs) début mars, les autres seront taillés dès maintenant si le besoin s'en fait sentir. Et nous laissons de côté les fruitiers en espaliers qui exigent un savoir-faire fait de savoir, d'empirisme, de coups d'œil qui ne s'apprennent pas plus dans les livres qu'on ne peut les transmettre autrement que par l'exemple. Et pour tout dire, on ne sait pas trop comment s'y prendre. Un sécateur en mains, devant un espalier déjà formé, on s'en sortirait à peu près, mais certainement pas devant un espalier à former. C'est un métier ! Pour ceux qui savent, c'est un jeu d'enfant et ils sont capables du bon geste, sans réfléchir, tout en vous parlant.

春に花を着ける低木は花の後にだけ剪定する。もし今 やってしまうと花芽を摘んでしまうことになるから。夏に花を着けるものについては冬のうちに剪定可能。霜に弱い樹は三月の始めまで待った方がいい。果樹に ついてはその剪定は代々続いた植木職人の職人芸を必要とするので本を読んだだけじゃ無理。やらない方がいい。素人がやるとろくなことはない。

C'est là que le doigté intervient. Que les jeunes jardiniers se rassurent, la plupart des arbustes à fleurs du jardin, à l'exception des rosiers, des arbres à papillons, des glycines, des clématites et de quelques autres espèces et variétés dont la taille se doit d'être suivie, doivent être rabattus à la plantation puis être débarrassés des branches qui se développeraient de façon disgracieuse en dépassant des autres ou en poussant de travers. Ils seront laissés tranquilles jusqu'au moment où ils deviendront un peu trop encombrants. Ils seront alors sévèrement rabattus et le cycle recommencera. Trop user du sécateur favorise la naissance de branches qui s'enchevêtrent et ne donne finalement rien de bon. Et le risque est plus grand de trop tailler que de ne pas assez le faire. Moins on sort le sécateur, mieux c'est.

そこで指芸の登場。初心者にとっては気が休まるが、バ ラ、フジ、クレマティスなどの特別の花木を除いては、ほとんどの花を着ける庭木は、植え付けの時に、いったん乱れた徒長枝を根本から折り取らなければなら ないが、その後相当枝が茂り混み合ってくるまでは手を着けずに放っておけばよい。ようやくその段階で混んでいる余分な枝を根本から折り取るのだ。また混み 合ってくるまでは放っておく。そのくり返しをするのである。しょちゅう剪定ばさみを使ってちょこちょこ剪定していると余分な徒長枝を発生させることにな り、いいことはない。余分に剪定するリスクの方が不十分にしか剪定しないリスクより高い。剪定ばさみは使わなければ使わないほどいいのである。

Alain Lompech
• ARTICLE PARU DANS L'EDITION DU 04.12.03

2003年8月17日日曜日

〔再録〕荷風と高見順


Kafu School News No18 荷風と高見順

今日8月17日は高見順が死ん だ日です(1965.8.17)。高見順は『如何なる星の下に』『いやな感じ』などで知られるエライ小説家ですが、永井荷風の従兄弟でもありました。なの に二人はまともに口も聞かなかったし、日記でお互いの悪口を散々書きあっています。どういう経緯なのか。とかく人のケンカは面白いので、野次馬根性を出し てみましょう。

まず高見順のご紹介をします。 『ニッポニカ』から抜粋すると次の様な人物。

「福井県の生まれ。明治40年当時の福井県知事阪本釤 之介(しんのすけ)の庶子として生まれる。母とともに上京し、府立一中、旧制一高を経て、東京帝国大学英文科に進む。東大では左翼芸術同盟を結成し、プロ レタリア文学。その後検挙され転向するが、妻に裏切られ精神的苦悩が重なる。戦争が長期化する中で逃れるように浅草生活に入り、浅草情緒を伝える作品を書 く。昭和40年8月17日癌で倒れる。日本ペンクラブや日本近代文学館の創設に尽力した」

この福井県知事の阪本釤之介は荷風のお父さん久一郎の 実弟です。荷風にとっては叔父に当たる。荷風が小さい時に小石川金富町の屋敷に同居していたこともある。もっとも高見順と荷風は30歳近く年齢が離れてい て、荷風はその存在すら知らなかったようです。ケンカになるような状況じゃないのですが、いったいどうしたのでしょうか。

荷風が最初に高見順を知るのは昭和11年8月27日の こと。『日乗』によるとこうなってます。

「東京茶房に小憩す。偶然この喫茶店の女給石田某とよ べる女の旧情人高見沢某なる人は余が叔父阪本三頻翁が庶子なる由を知りぬ。・・・文学者なりと云ふ。余は大正三年以後親類と交わらずを以て今日この時まで 何事をも知らざりしなり。」(註、名前を間違って書いてます)

続いて9月5日には次のような記述が:

「八月末の日記にしるせし高見氏のことにつき、その後 また聞くところあり。氏は近年執筆せし短編小説を集め起承転々と題し、今年7月改造社より単行本としを公にしたり。書中私生児と題する一小編は氏の出生実 歴を述べたるものにて、実父阪本翁一家の秘密はこれが為悉く余に暴露せられたりと云ふ。気の毒のことなり。阪本翁は余が父の実弟にて・・・儒教を奉じて好 んで国家教育のことを説く。されど閨門治まらず遂に私生児を挙ぐるにいたりしも恬として恥じるところなく、貴族院の議場にて常に仁義道徳を説く。余は生来 潔癖ありて、斯くの如き表裏ある生活を好まざるを以て三四十年来叔姪の礼をなさず、・・・・偶然高見氏のことを聞き、叔父の迷惑を思ひ、痛快の念禁ずべか らずなり。」

この叔父の阪本氏を題材にして荷風は「新任知事」とい う風刺小説を書き、以来荷風と阪本家は絶交となっていました。自分のお父さんに較べて、妙に要領がよく立身出世主義の叔父が気にくわなかったのでしょう が、「新任知事」は誰が読んでも阪本氏のことだと分かる。阪本氏も、最初は甥から筆誅され、次に自分の子供から悪く描かれては、実にお気の毒です。でも荷 風にとっては、敵の敵は味方であるはずですから、高見順は味方の筈なのですが、どうしてケンカしたのでしょう。

同じ年の10月16日、荷風は高見順より献本を受け 取っています。次の記述があります:

「高見順其著短編小説集女体を贈らる。晴れて風なけれ ば午後また落葉を焚く・・・」

一見何でもないようですが、後述する高見順の日記で分 かるように、荷風はこの献本に腹を立てています。荷風の高見順への印象は相当悪かったようで、以後日記で悪口が続きます。

「昭和15年2月16日。・・・谷中氏に逢ふ。同氏の はなしにこの日午後文士高見順踊子二三人を伴ひオペラ館客席に来れるを見たり。原稿用紙を風呂敷にも包まず手に持ち芝居を見ながらその原稿を訂正する態度 実に驚き入りたりと云ふ。・・・・(三上於と吉の愚談と)好一対の愚談なり」

「6月16日。・・・文士高見順という面識なき人、往 復葉書にてその作れる戯曲を上演すべし。会費を出して來たり見よというが如きことを申し来たれり。自家吹聴の陋実に厭うべし」

「9月13日。・・・オペラ館楽屋裏に至る。文士高見 順□楽屋に來たり余に交際を求めむとすという。迷惑甚だし。」

さんざんですが、理屈抜きに気に入らなかったのでしょ うね。でも荷風もこの日記を生前に刊行するのは、相当嫌味です。一方の当事者である高見順はどうかといえば、荷風が死んでから4年もたった時の日記でさん ざん荷風の悪口を書いて憂さを晴らしている。

『高見順日記』(昭和38年2月16日)では、 「(『断腸亭日乗』によれば)オペラ館の客席で私が原稿を書いたという。待合いで原稿を書いた三上オト吉と好一対だという。私はそんなキザな真似をした覚 えはない」

さらに続けて、

「荷風の私あての手紙を妻が押入から探し出してきて、 もってきたが、実に無礼な手紙だ。実にいやな奴だ。『女体』(昭和11年刊)を贈ったことに対する礼状だが、たとえば『御恵贈に与り御芳志難有存候』とあ る、その『御芳志』の『御』をわざわざ行の最後に書いてある。無礼極まりない」

真実はよくわかりませんが、どうも荷風の方が意地悪 だったと思います。嫌いな叔父の私生児ということに対する生理的な反発だったのでしょう。

でも手紙の「行かえ」の位置で嫌味を発信したり、また 受け取った方がそれに反応するとか、実に細かいというか、ここまで来ると嫌味も高等テクニックです。(ワープロだったらどうするのだろう?)

やっぱり二人は似たもの同士なのです。血は争えないの でしょうね。

Posted: Sun - August 17, 2003 at 06:26 AM   Letter from Yochomachi   永井荷風       Comments (2)  

2003年8月15日金曜日

お盆とお化けと「妙な予感」



今日はお盆である。年に一度ご先祖様の精霊が帰ってこられる日だ。いろいろ不思議なことも起こるらしい。個人的には今までそれほど不思議な体験をしたことはないが、ひとつだけ奇妙なことがあった。

子供の時、夏になるとお化けごっこをして遊んだ。スイカの殻に穴を開けてお面を作り、毛布を上から被せたお化け装束で人を驚かせたものだ。子供のやることだからご愛敬であり、大人は驚いたふりをするだけであったが、根が単純だからお化けを演じている自分の方が本気で怖くなってしまう。想像力を肥大させてお化けは実在すると信じて暗闇を恐れおののいた。馬鹿な子供である。

特に怖かったのは二階に上る階段であった。一番小さい子供だったから夜寝るのも一番最初であり、一人で二階に寝に行くのであるが、これが怖くて怖くてしようがなかった。階段には電灯があるのだが、スウィッチが下についている。二階では電灯を消せないので、一階で消してから階段を上ると言うなんとも非合理的な仕組みだった。途中に丸窓があって障子が入っているのだが、月明かりなどがそこから差し込んでぼうっと薄明るい。その丸窓を上に眺めながら階段を上がるのだがこれが怖かった。以来、お化けとは二階の暗いところにおって、まあるい頭をしてマントを被り、人を上から襲う、二階は怖いという確信に近い思いこみをもつようになった。中学生ぐらいになっても一人で二階に上がるのを嫌がったくらいである。要は弱虫ですね。

さすがに大人になってからはそういうことはなくなったが、40年たって、1995年1月16日の夜、久しぶりに帰った実家で寝たが、二階に上がる時、ふと小さい時のお化けを思い出した。「黒いお化けが上から被さってくる」イメージである。いやな予感がしたが、そのまま二階に上り寝てしまった。

翌朝早朝5時46分、突然大音響と共に窓からさす星明かりの中で、黒い物体が頭の上に覆う被さってきた。一瞬にしてこれがあの子供の時夢にまで見たお化けの正体だとわかった。阪神大震災で、寝ていた上にタンスが倒れ、その上に屋根が落ちてきたのである。まったく身動きとれなくなった。普通は一階が壊れるものだが、二階だけが崩壊した。子供の頃の二階にはお化けが出るとの確信と予感は、40年後にたしかに実現したのである。二階は怖いという子供の頃の直感はやはり正しかったのだ。

だから「いやな予感」とか「何か気が進まない」という直感はやはり正しいことが多いのである。あまり軽視しては駄目なのであるというお話し。

ちょっと怖かったですか? 散人は怠け者だからよくこんな話を持ち出しては、やらなければいけない仕事を「気が進まない」と言って怠けてきました。でもやはり「妙な予感」というのは当たるもんなのです。

ともあれ阪神大震災のあと実家は取り壊されてしまったので、今日はお盆ですが散人には帰るべき実家もなく余丁町で過ごしています。東京は夏だというのに朝から冷たい雨。とてもお化けの出る雰囲気ではありません。ゆっくり寝られそうです。

2003年7月31日木曜日

〔再録〕Kafu School News No16 「小説作法」


 Kafu School News No16 「小説作法」


出版不況だという。たしかに毎 月おびただしい新刊書が発刊されるがあまり買わなくなってしまった。買いたくなるようなものが少ない。どうも商業化が進んだというか、書くという仕事が職 業化してしまい、なんとか売って生活費を稼がねばならないという姿勢が、書籍に生活臭をプンプン臭わせるのだ。それが本を詰まらなくしてしまった。本来的 にアマチュアの分野である blog においてさえ「Blog を書いてカネを儲けられる時代が来るか? 」(結論はネガティブなものとなっているが)という問題提起が為されるくらいだ。世知辛い世の中になったといえばそれまでだが、昔もそうだったらしい。今 から83年前に永井荷風はそういう風潮を嘆き、諫めている(「小説作法」)。 

大正9年に書いた「小説作法」 とは数十項目に渡る「文章家たるものは・・・」というマニュアル。今で言う文章読本みたいなもの。各項目それぞれになかなか含蓄の深い言葉が連なってお り、人生読本としてもいい。この一項目に経済的な事柄について触れたものがある。ただあまりに正直に書いてしまったため、荷風は文壇から総スカンを食ら うことになった。でも鋭い。

<引用>
一 読書は閑暇なくては出来ず況や思索空想又観察にお いてをやされば小説家たらんとするものはまづおのれが天分の有無のみならず又その身の境遇をも併せ顧みねばならぬなり行く行くは親兄弟をも養わねばならぬ やうなる不仕合わせの人はたとへ天才ありと自信するも断じて専門の小説家なぞにならんと思ふことなかれ小説は卑しみてこれを見れば遊戯雑伎にも似たるもの 天性文才あらば副業となしても亦文名をなすとの期なしとせず青春意気旺盛の頃一二の著作評判よきに夢中となりその境遇をも顧みず文壇に乗り出でこれからと いふ肝腎な処にて衣食のために乱作し折角の文才もすさみ果て末は新聞記者雑誌の編集人なぞに雇われ碌々として一生を終わるものあるを思はばいったん正業に つきて文事に遠ざかるともやがて相応の身分となり幾分の余裕を得て再び筆を執るもなんぞ遅きにあらんや平素その心を失わずば半生世路の辛苦は万巻の書を読 破するにもまさりて真に深く人生に触れたる雄編大作をなす基ともなりぬべし支那の文学は離騒を始めとして韓柳の文李杜の詩に至るまで皆副業の産物なり西洋 の文学を見るもモリエールは旅役者なりけりヴォルテールシャトーブリアンの如き一代の文豪終生唯机にのみ向かひたる人にはあらず。
<引用終わり>

付け加えると、カフカもそうでしたね。保険会社のサラ リーマンでした。『カ フカ事典』(三省堂) が発売となりましたが、あまり知られていない彼の人生が書かれているようで良さそうです。

Posted: Thu - July 31, 2003 at 10:37 AM   Letter from Yochomachi   永井荷風       Comments (2) 

2003年7月5日土曜日

珊瑚集: 夜の小鳥 ポオル・ヴヱルレヱン



(L'ombre des arbres...) PAUL VERLAINE
荷風訳と原詩の対照と私註です。



『珊瑚集』ー原文対照と私 註ー

永井荷風の翻訳詩集『珊瑚集』の文章と原文を対照表示させてみました。翻訳に当たっての荷風のひらめきと工夫がより分かり易くなるように思えます。二三の 私註と感想も書き加えてみました。

原文        荷風訳
L'ombre des arbres... PAUL VERLAINE


Le rossignol, qui du haut d'une
branche se regarde dedans,
croit être tombé dans la rivière.
Il est au sommet d'un chêne et
toutefois il a peur de se noyer.
(Cyrano de Bergerac)

L'ombre des arbres dans la rivière embumée
Meurt comme de la fumée.
Tandis qu'en l'air, parmi les ramures réelles,
Se plaignent les tourterelles.

Combien, ô voyageur, ce paysage blême
Te mira blême toi-même,
Et que tristes pleuraient dans les hautes feuillées
Tes espérances noyées !

(Romances san Paroles

夜 の小鳥  ポオル・ヴヱルレヱン



鶯は高き枝より流れに映るその影を
眺め 水に落ちしと思ひて、
樫の木の頂にありながら常に溺れん
事のみ恐れき。
(シラノ・ド・ベルジュラック)


霧たち籠むる河水に樹木の影は
煙の如くに消ゆ。

その時影ならぬ枝の間より何処と知らず
夜の小鳥は泣く。
ああ旅人よ。いかに此の青ざめし景色は、
青ざめし君が面を眺むるらん。

いかに悲しく、溺れたる君が望みは、
高き梢に嘆くらん。 



[単語]
rossignolナ イチンゲール, 夜鳴きうぐいす
tourterelle:雉鳩

私註]
ナイチンゲールとは鶯の一種だったんですね。しらんかった。荷風は「鶯」 と訳してますが、さすがです。

雉鳩(山鳩)は荷風もよく知っていた思い入れのある鳥。荷風塾「荷風と山鳩」 でも書きました。知っているだけに夜啼くはずがないと思ったのでしょうね。「夜の小鳥」と訳しています。

最後の "Tes espérances noyées !" を「溺れたる君が望み」としているのはあまりに直訳調にも見えますが、やはりこれでないと意味が通じなくなります。翻訳とはむつかしい作業ですね。

(荷風訳は籾山書店『珊瑚集』より、原詩は岩波書店の 荷風全集より引用しました)

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訳詩:『珊瑚集』籾山書店(大正二年版の復刻)
原詩:『荷風全集第九巻付録』岩波書店(1993年)

2003年7月4日金曜日

Le Monde ジョージ・オーウェル生誕100年と Blog



今年はジョージ・オーウェルの 生誕100年に当たるらしい(1903.6.25生まれ)。ル モンドのブロッグページ(Sur le Net) ではネットで入手できるジョージ・オーウェル関係の参考文献を列挙している。なかなか立派な図書目録である。原文テキストももちろん入手可能(グーテンベ ルグ図書館)。『動物農場』『象を撃つ』などが懐かしいが、何と言ってもすごいのは『1984』。いま読み返してもとても面白い。映画の「ブラジル」の底 本ともなった古典的名作である。あの中で「ニュースピーク」という人工言語を国民に使用させることで国民の思想統制を図るというくだりがあったが、「形」 が「内容」を決定すると言う意味で含蓄が深い。昨今流行の Blog に付いても同じことが言えるのかも知れない。

『1984』というのはSFで ある。40年後の将来社会はスターリン型の社会主義が支配する世界となっていた。国民は「ビッグ・ブラザー」と呼ばれるリーダーに日常生活すべてを監視さ れながら生きる。絶え間なく戦争が続いているらしい(本当のところは分からない)。ともかく戦争に勝利するためには国民はすべてを犠牲にしなければならな い。ケッサクなのはこの政府は古くさい英語を廃止して、合理的で例外が一切ない短くて能率的な言葉「ニュースピーク」を導入しようとしていること。真の目 的は国民の思想統制である。人間は言葉で考えるものであるから、言葉の構造が規制されるとその構造内でしか思考できなくなるのだ。いまだによく引用される テーマである。Google で調べると国語改革反対論者がオーウェルを引用して次のような論文を書いているぐらいだ。御笑覧↓

1984年』 より「ニュースピークの諸原理」 
http://members.jcom.home.ne.jp/w3c/kokugo/bunken/1984.html
 

でもこのことからふと思いついたのであるが、今流行の Blog についても同じようなことが言えるのかも知れないということ。「ニュースピーク」はSF世界の国民にネガティブな影響を及ぼすのであるが、Blog は特に日本人の思考パターンにとっては逆によい影響を与えるのかも知れないのだ。Blog 形式の特徴としてタイトル、アブストラクト(要約)、本文の三つに分かれると云うことが重要である。

タイトルと本文は特にめずらしいものではない。問題は 「アブストラクト(要約)」。これは日本人はあまり書かないし学校の国語の授業でも要約の訓練は受けないのが普通だ。新聞記事のリードに当たるものだが、 新聞でも記者ではなくたいてい編集者が付ける。それで普通我々は本文だけを書くのであるが、多くの場合なかなかエンジンがかからないためか起承転結の 「起」の部分がだらだら続いてしまうことが多い。日本人の論文が分かりにくいと評される理由の一つだ。

ところが blog ではこれ(要約)を一番最初に書かねばならない。後から書いてもいいが、これが本文の一番上に表示されるので出だしてとしてまずこれを書くことになる。 XML/RSS でフィードされるのもこの部分だ。自分の主張をまず明確にし、本文を読んでもらうためのキャッチとしなければならない。この点欧米人はこれがうまく、よく できた英語の新聞記事では最初の5行を読めばだいたい全部分かるように書いている。新聞記者ばかりでなく学校教育に於いてもそういうのが重視される。 blog とはまさにそういう言語文化に則ったものである。

日本の「随筆」と欧米の「エッセイ」の違いは「アフォ リズム(警句)」の有無であると云われる。この一ヶ月いろんなサイトを拝見しての印象であるが、従来型の日記サイトは基本的に日本の伝統的「随筆」に近い ものが多いのに対し、blog tool で書かれるページと文章は、その形式上の特徴から、自ずとアフォリズムに富んだものとなるようである。これはネットで使用される日本語におよびそれを書く 日本人の思考方法にとって革命的な(大げさかな)変化となるのかも知れない。形式が内容を規定するのである。


2003年6月19日木曜日

〔再録〕荷風と散歩 June 19, 2003


荷風と散歩



最近中高年の間で流行の東京散 歩というものの元祖は永井荷風だと言われている。明治の終わりにフランスから帰国した荷風がパリ市民の風俗を日本で実践したというのだ。でも荷風の散歩哲 学はディレッタンティズム以上のものがあったように思う。荷風にとって散歩とはなにか、その4つの側面。その過程での発見。荷風が子供時代遊んだ代官 町の土手には当時の榎が残っていた!



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最近東京の街歩きをすると高齢者夫婦が二人連れで歩い て居られるのに頻繁に出くわす。散人もうろつき歩く高齢者だから人のことは言えないのであるが、ガイドブックを手に歩いて居られる人や、カメラでいろんな 写真を撮って居られる人や、はたまた食べ歩きを目的とされて居られるような方とか、とにかく多い。本屋に行けばこの手のガイドブックが山と積んで売られて いる。いまや「東京街歩き」は完全に一つの風俗・趣味として定着した感がある。とてもいいことだと思うが、物の本によると江戸時代にはこんなことはなかっ たらしい。基本的にみんな忙しかったこともあるが、ふらふらと目的もなく歩き回るのは奇異の目で見られたようだ。この散歩というものを日本で最初に意識的 に実行しはじめたのは、衆目の一致するところ、明治40年代の永井荷風である。

永井荷風はアメリカ、フランスでの留学を終えて帰国し たのが明治41年。慶應義塾大学で創刊した雑誌「三田文学」に明治43年から連載した『日和下駄』が日本の散歩文学の元祖とされる。荷風はこの中で都市生 活者としての散歩の美学を確立したと言ってよい。この中で荷風がフランスの散歩の習慣とディレッタンティズムを引用しているところから、荷風がフランスの 習慣を日本に持ち込んだとする見方がある。たしかに荷風は「私の趣味のうちには自ずからまた近世ヂレッタンチズムの影響も混ざっていよう」とフランスでの 散歩の習慣につき長々と紹介している。荷風はフランス人のように「社会百般の現象をば芝居でも見る気になってこれを見物して歩いた」ことに間違いはない。 「深川の唄」には市電の中での実に細かい人間観察がある。荷風は半ばサディスティックにこの観察を楽しんでいた。でもこればかりではない。

荷風にとってそれ以上に重要だったのは「江戸への回 帰」であった。古くからのものを惜しげもなく破壊して薄っぺらな近代を建築していた明治の時代に、荷風は明治政府の悪口を散々言いながら、東京市中の散歩 でわずかながらも残っている古い江戸を発見して驚喜したのであった。これは今どき流行の「路上観察」とは別種のもので、荷風は東京を散歩することで時間空 間を散歩した(タイムトリップを試みた)ともいえる。「(散歩を楽しむためには)是非とも江戸軽文学の素養がなくてはならぬ。一歩を進むれば戯作者気質で なければならぬ」と荷風は断じる。荷風にとっては昔を思い起こさせるものは、普通の人が見れば全くつまらないものであっても、驚喜するほどうれしいもので あったのだ。荷風の学者としての蓄積と博識が、単なる散歩を至福の娯楽にまでに高めしめたのであった。

しかしそればかりでもない。荷風は散歩をしながら考え る人でもあった。ベートーベンが田園を週日歩き回りながら「田園交響曲」の構想を練ったように、荷風も歩きながら作品の構想を練った。また材料の収集を 行った。天下の名作『濹東綺譚』はこうして書かれたし、随筆「放水路」では荒川沿いを歩きながら人生の荒漠をしみじみと哲学する荷風の姿が見える。荷風の 思索は散歩をしながら過去に将来にと無限に広がっていったのである。

加えて最後に、荷風にとっての散歩は「探検」であった ことにも触れなくてはならない。荷風は子供時代から見も知らない道を探検するのが好きだった。それは『日和下駄』にも書かれているが、その路地を曲がれば 何があるのか知りたい、この道はどこに通じているのかを知りたいという、とても子供らしい好奇心である。荷風はこの子供らしい好奇心(冒険心)を最後まで 失わなかった。晩年に書いた「葛飾土産」は「この川はどこに通じるのだろうか」という荷風の好奇心がテーマだ。とても詩情にあふれるいい作品だと思う。荷 風は最後まで子供の心を失わなかった人でもある。

このようにいろいろの要素を併せ持つ荷風の散歩はまさ に「散歩の総合芸術」と言えるかも知れない。

最近『日和下駄』で荷風が子供時代に学校からの帰り道 に遊んだという記述の中に出てくる代官町の榎が現在でもまだ残っているのか急に知りたくなり、代官町に行ってみた。当時の近衛師団は現在国立近代美術館の 工芸館となっている。その向かいあたりに、まさに荷風の記述通りの場所に榎が残っていた。平成の現代にもまだ荷風を偲ぶ風景が残っていたことに、私は驚喜 した。


代官町の榎(2003.3.16撮影)

Posted: Thu - June 19, 2003 at 05:41 PM   Letter from Yochomachi   永井荷風       Comments (3) 

2003年5月16日金曜日

「デフレにもいいところはある」と信じよう

2003.5.16

最近、意気消沈することが次々と起こる。イラクではアメリカが圧倒的な力を見せつけて国際政治とは結局は力のルールであるという実も蓋もないことを白日の下にさらしてしまうし、北朝鮮が怖いことを言い出しても日本はなんにも出来ないし、景気低迷が続き経済的にも日本の存在感は希薄化する一方だし、それなのにマスコミは白装束集団がどうしたこうしたと言うことにしか関心がないみたいだし、気分が落ち込む。

国際政治で日本の身の程を嫌と言うぐらいに思い知らされた以上、せめて日本は「町人国家」でもいいから経済的な存在感を取り戻すべきと考えるのは自然な成り行き。でも景気は一向によくなる気配を見せない。デフレスパイラルが進行している。このデフレは高すぎる日本の物価水準を国際的に平準化する過程であり構造的なものであると言われる。確かに日本の給与水準はアメリカに較べても高すぎる。この程度の調整であるならそんなに時間はかからない。でもお隣の中国と賃金水準を「平準化」するとなるとこれはたいへん。だとすると10年ぐらいではデフレは止まらないことになる。

もちろん国際物価の平準化だけを考えるなら、デフレばかりがその調整の方法ではない。物価とは為替を通して国際的に比較するものであるから、為替を円安にすれば実際に国内物価を下げなくとも(デフレにしなくとも)国際的な物価の平準化は可能である。ではそうしてそれをしないのか。技術的に出来ないとかの議論の前に政治的な価値観の問題からこうした手段は採らないとする隠された政治的意図が存在するのだ。構造調整という奴だ。小泉さんと日銀はデフレによってしか構造改革が実現しないと信じているようなのである。デフレで非効率的な企業は淘汰されるし、賃金水準も押さえられるし、歳入が減るので歳出を絞らざるを得ないので国家の関与は自ずと小さくなるし、地価や株が下がるので戦後のバブルで儲けた勝ち逃げ組からの資産収奪は進むし、経済全体の生産性が上がり、やがて日本は国際競争力を取り戻すというシナリオだ。

でもこの日本の「構造」というものは戦前から連綿と続くものだ。弊害も目立っているので直した方がいいとは思うが、そんな簡単ではない。まさしく一朝一夕に出来るものではなく長期的課題だ。デフレを通じて構造調整をするとなると、結果は素晴らしいものとなるにせよ、たいへんな時間がかかる。ケインズが「長期的長期的というのは結構だが、長期的には我々はみんな死んでしまう」と喝破したことを思い出す。誰が長期的に生き残り「素晴らしい結果」を享受できるのか、事態は「長生き勝負」の様相すら呈している。老い先短い老人はとてもこの勝負に勝てそうにない。

さらに勘ぐれば、この「長期戦」にも隠された政治的意図があるように思える。デフレが長引いた方がいいと考える合理的な根拠もあるのだ。世代問題である。頭のいい人が繰り返していっているように戦後日本の混乱した教育を受けた世代は団塊の世代として知られるが、これが問題の世代と言われる。いろいろの問題含みの性癖が指摘されている。でもあと数年不況が続くとこの世代は早期退職とか定年退職で現役から引退することになる。景気がよくなってしまうと天下りなんかやりそうだからかえって不況の方がいいのである。そうなれば社会の生産性は格段に上昇する、とエライ人は考えているらしい。

経済活動とはいつでもコインの両面である。いいことがある反面悪いこともあるし、逆に悪いことが続く中でもいいことも起きているのである。酒が半分入ったコップを見て「もう半分しかない」と考える人は悲観論者で、「まだ半分もある」と考える人は楽観論者である。わいわい言っても騒いでも事態は変わりそうにない以上、同じことなら楽観論者として気楽に考えたいものだ。デフレにもいいことはあるのである。

2003年5月14日水曜日

Le Monde : 野獣の友ブリジット・バルドーは人間の敵

2003.5.14

ブリジット・バルドーはまだまだ元気で過激な言動を止めていない模様。人間歳をとると丸くなるのが普通ですが、彼女の場合は逆ですね。人間より動物の方がお好きなご様子です。

 


Brigitte Bardot, amie des bêtes, ennemie des hommes (2003.5.13)

野獣の友ブリジット・バルドーは人間の敵

68歳になったブリジット・バルドーは、もはやどんなに批判されても怖いものなしであり、最新の『沈黙の叫び』という本の中ではまたしても人にショックを与えるようなことを書いている。彼女の『回想録』第二巻の発刊から4年、この人間嫌いのスターは「極端な告白」で「私の書くことが大嫌いな人たちを頭に来させる」ことを事前に楽しんでいるかのようだ。「人類」一般に対する憎悪や特にイスラム教徒の侵略に対する憎悪などと共に、「職業的」失業者や「何もしないでぶらぶらしている」若者達や「この20年間の荒廃の責任者である」左翼に対する悪口がさんざん書かれている。

みんなが彼女を黙らせる前に言っておこうということか、この緊急の「最後の叫び」で、「多分表現の自由」というものであろうが、バルドー女史は政治家と評論家の立場から、同性愛者やホームレスや「教会を冒涜し教会を豚小屋に変えてしまった連中」を口汚く非難する。

レストランでロブスターを救出

このフランスの「堕落者」リストの中には、死刑を復活させるべきだと彼女は主張しているのだが、「ひげを剃らずに脂ぎった髪で汚いシャツを着てよれよれのジーンズをはき泥だらけのバスケットシューズで学校にやってくる教員達」も入っている。彼女によれば学校は「堕落の中心」であり麻薬が蔓延しマリワナを吸うテロリスト達や避妊器具を大量に消費する連中の温床であるとのこと。

裁判所、政治、テレビ、バラエティー番組、財政、労働組合、映画・・・、例外はない。何でもかんでもぼろくそだ。「芸術は名実共に糞みたいになってしまった」し、現代文学は「国民的キンタマ抜かれ」だという。悪口を言われないのは、「上品なミシェル・ドラッカー」や「豪華なソフィー・マルソー」やジャン・マリー・ルペンぐらいなもので、ルペンは「風や潮にも流されず自分の信念に忠実」であるとのこと。

バルドー神話が生まれてから50年、このスキャンダルまみれのスターはこの「新世紀の最大の淫売を崇めて小児愛を名誉なものとしたような」風紀の自由化の風潮を告発するべきと素直に信じている。一方で「男性にはトップモデルの職業を選びエステで身繕いするような連中しか残っていない」とも言う。

このような罵詈雑言が延々と続くが10ほどの牧歌的な章もある。そこでは彼女が毛がいっぱいの動物や鳥や甲殻類に対して限りない愛情を注いでいることが述べられている。バルドー女史がレストランでロブスターを救出した話や、「愛ときれいな水を求めて歌を歌うカエル」の話や、飼っている大好きなマルセルとロゼットという豚は「きれいな水でシャワーを浴びることが大好きで愛情をかけてやらないといけない」とかいう話である。

Alexandre Garcia

・ ARTICLE PARU DANS L'EDITION DU 13.05.03


2003年5月8日木曜日

〔再録〕コーランに書かれている天国の処女達とは単なる白い果物のことだったのか?

旧HP「ルモンド抄訳」より。原文へのリンクは切れていますが、拙訳をお読みください。


2003.5.8

この記事ケッサクです。コーランは単なる聖書の解説本であったとするドイツ人学者の研究が波乱を呼んでいます。こういう研究は今までタブー視されてきたのでしょうね。こういう神聖化されてしまった文章は日本にも存在します。はい。何事においても客観的な姿勢が大切です。

Et si les vierges célestes du Coran n'étaient que fruits blancs ? (2003.5.6)

コーランに書かれている天国の処女達とは単なる白い果物のことだったのか?

博識な人(碩学)とは普通攻撃的な性格を有さないと見られている。とても普通の人には理解できない生死に関する難しい問題を一生懸命考えている人というイメージだ。だから彼等碩学の仕事は世界の現実には一切インパクトを与えることはないと考えられている。それは間違いである。実際に図書館の蔵書の下から引っ張り出した彼等碩学の発見がいま世界に大騒動を引き起こしかねない勢いなのだ。一番最近の例をとるとドイツのクリストフ・ルクサンブルグがコーランの言語について行った研究がそうだ。この人はアラビア語の文語及び方言の専門家で哲学者であるがシリア語と6世紀と7世紀にかけて広く使われていた「アラブ・シリア語」の権威でもある。彼はコーランがどの言葉で最初に書かれたのかを問題意識として研究した。

この問題意識は今更でもないという感じだ。もちろんアラビア語だ。しかしどのアラビア語であるかと言うことが問題なのだ。難しいことは、知られているコーランの一番古いテキストは子音だけで書かれていることから来る。ずっと後世になってから、具体的に何時どうしてと言うことは分かっていないが、母音が表記できる表記システムが完成され、発音の区別が正確にアラビア語で表記できるようになったのである。この問題はよく知られていることだが、この碩学はもう一歩踏み込んで、コーランの従来意味がよくわからなかったくだりを古代のアラブ・シリア語の語彙でもって解読しようとしたのである。結果は驚くべきことであった。例えばコーランのマリアの処女懐妊(19章、24節)のくだりでは、生まれたばかりのイエス・キリストはマリアを慰めるのだが、通常のコーラン正本では「悲しむとこなかれ。神は汝の足を小川の流れに入れたまう」と書かれており、意味不明であるが、アラブ・シリア語を使って判読すると「悲しむことなかれ。神は汝の出産を正当なものと認め給う」という意味になるのである。

もっと驚くべきことは、コーランで有名な天国の楽園の処女達とは単に葡萄の実のことであったとする解釈だ。(コーランに書かれている天国で待ち受けているという)「目が大きい処女達」とは「クリスタルのような白い果物」と読むべきとのことだ。自殺攻撃をするイスラムの勇士達はテロ実行にあたり(天国の処女達のために)局部を念入りに聖なる白布で保護して事に当たるというのに、これが単に葡萄だったとなるとたいへんなことになってしまう。もしルクセンブルグが正しいとなると、コーランとはシリア語で言う教則本であり、聖書に置き換わるものではなく、聖書を解説するマニュアルとして書かれた文書の一種であると言うことになるのだ。

ソルボンヌ大学教授レミ・ブラーグが雑誌「クリティーク」4月号で強調するように、この問題は科学的に広く議論されるべき時に來ている。もしこの仮説が正しいとなると、どんな大きな結果を引き起こすか想像できるだろう。碩学とは攻撃性を持たない無害な人たちではないことは確かである。

Roger-Pol Droit

・ ARTICLE PARU DANS L'EDITION DU 06.05.03